昔の旅:パリ1996

パリの街を少しばかり歩いたときの写真を載せた.

パリのマップ

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ウォータールー駅からパリ北駅に向かう

ウォータールー駅からパリ北駅に向かう

海峡トンネル(ユーロトンネル)を通るユーロスター(TGVの名称)開業からちょうど一年経ったそうで,それに乗りパリ北駅に向かった.

JR新幹線と同じくらいの速度で乗り心地も普通に良かったと思う.現在はスピードを上げJRより速いようだ.仏人はある意味スピード狂の面があろう(褒め言葉).


パリ北駅に到着

パリ北駅に到着

石造りの立派なパリ北駅に到着した.そして先ずはホテル探しを始めた.大きな駅前だけにホテルは十分あり,その中の一つにチェックインした.

このホテル一階脇にはばーがあり,夕方飲みに行くと,少し遅れて入ってきた客がいた.そしてお前はベトナム人か....と絡んできた.ここでマスターが彼は酔っているから逃げたらいいよ,とアドバイスをくれ,そうした.昔のインドシナ宗主国を誇りに,いや威張っているのであろう.


次はランチだ

次はランチだ

次はランチだ.レストランもたくさん揃っている.婦人が愛想よくどうぞどうぞと言うので,仏語話せないが大丈夫か?問うとニコニコし「ウイ」と言うので入った.そしてステーキをミディアムレアで,と頼んだのだが全く通じない.すると婦人は店内の客に向かって「誰かアングレ話す人居りませんか」と呼びかけ,親切な男性が来てくれた.いずれにしてもニコニコしながら「ウイ」というお調子者商売人にはある意味感心した.ステーキそのものはワインソースのようなものがたっぷり掛けられ美味しかった.


ポンピドーセンター広場

ポンピドーセンター広場

国立近代美術館,産業創造センター (MNAM-CCI) などで構成されるというポンピドゥー・センターにやって来た.建物前の広場では似顔絵の絵描きさんがお客さんを描いている.上手ですね.こうした絵描きさんは日本ではあまり見ないですね,恥ずかしいからでしょうか...

ポンピドーセンターの建物は全面的に足場が組まれている.工事中か,或いは耐震補強か......実は電気,水道などの配管や,空調ダクト,排気塔,階段,エスカレーターなどの移動手段がすべて建物の外側に取り付けられており,最初からこのようなデザインで設計されたためという.メンテナンスのアクセスビリティはとてもいいであろう.日本の集合住宅にもこうした考えを採り入れていいのではないか.


ポンピドーセンターの国立近代美術館

ポンピドーセンターの国立近代美術館

ポンピドーセンターで眺めた展示品の中で最も気に入った作品(初めて見た)はこれだった.気に入ったのに写真にガラスの反射が入り,斜めになったのは残念.パブロ・ピカソのConfidences(1934年)という作品で「紙のコラージュと接着剤の絵画」という技法で描かれているようだ.この技法は色付きまたは無色の紙,新聞紙,壁紙などの切り抜きを使用して構成されるコラージュの形式で,絵画,オイルなどの二次元素材を統合することもでき,キャンバスに貼り付けられるそうだ.こう聞くと小学校の宿題と大差ないようにも聞こえるが.....あの難しいキュービズムの一種というのでこれくらいに留めよう.この絵はとにかく素晴らしい.


オルセー美術館

オルセー美術館

オルセー美術館に行ってみた.古い駅を改装して作られたという館内は高い天井の吹き抜けでSL時代の面影を残す.

先ずこのホールの彫刻類も数多いが,所蔵数世界一と言われる 印象派,ポスト印象派のコレクションで有名という.月光仮面のように誰もが知っているモネ,ルノワール,ドガ,セザンヌ,ロダン,ゴーギャン,ゴッホ.....などなど多数という.


看印象派ルノワールの作品板

印象派ルノワールの作品

そしてオルセー美術館内を見て回った.確かにこれまで書籍やTVで見た著名作家のよく知られた作品が多く展示されていた.そうした中の一つの例としてルノワールのこの楽しそうな絵を載せた.タイトルは「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」(1876年作)のようだ.

ルノワールは(1841年~1919年)フランス中西部生まれで13歳で磁器工場で働き始め,陶磁の絵付け職人として才能を発揮.しかし産業革命の影響で失業,絵画の道を志す.1861年シャルル・グレールの画塾に入り,次いで国立美術学校に入学.1974年に第1回印象派展を開催,1879年のサロン・ド・パリでは高評価を得て画家としての地位を確立していったそうだ.


パリのカフェ

パリのカフェ

コーヒーが欲しくなりカフェに入る.テーブルや椅子,照明器具などクラシックな印象でスタバとかと違うところだ.指定せずにオーダーすると濃い目のコーヒーをデフォルトとして出してくれる.


ルーブル美術館のピラミッド

ルーブル美術館のピラミッド

ルーブルは世界的に有名な絵画や彫刻を広く所蔵し,建物の起源はもともとパリの街を守護する要塞だったが,時代の移ろいに合わせ美術館として変化を遂げたという.石造りで頑強に見えるのはリアルに要塞を転用したからか,これでかなり安全だ.最近モナ・リザに塗料をぶっかけた輩も現れ,警戒は怠れないであろうが.

写真中庭(ナポレオン広場)に設置されているガラスピラミッドはメイン・エントランスとして使用されている.1989年に完成したがパリのランドマークとなったようだ.確かに一般的なパリの建材(石材)とは異質のガラスという異質さはインパクトがある.


ルーブル美術館展示室

ルーブル美術館展示室

ルーブル美術館は古代から19世紀までのさまざまな分野の美術品がたくさんの部屋で展示されているそうだ.絵画部門では下ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」やラファエロ,フェルメール,ドラクロワ,ダヴィッド....などの傑作があるという. また彫刻部門では、ミケランジェロの「抵抗する奴隷」「瀕死の奴隷」やサモトラケのニケなどがあるという(見なかったが).さらに古代エジプトやオリエントの文明に関する工芸品や彫刻も充実しているそうだ.彫刻では中国の作品も結構多く展示されていたと思う.

写真のように展示室は混まず十分時間をかけて鑑賞できるのが何よりだった.


モナリザ

モナリザ

イタリアの天才美術家レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた油絵.ガラス窓奥に収容されていた.ルーブルでも抜群の集客力を誇りしばしば混んで列をなすと聞くことがあった.私もそんなミーハーの一人であるが,眺めたときは他の人は居らず存分に見えた.

ダ・ヴィンチはイタリアのルネッサンス期に活躍した画家,発明家,科学者など多面的天才で,例えばこの「モナ・リザ」や「最後の晩餐」などの絵画.解剖学的「人体図」なども残している.確か以前ANAがロゴに用いたヘリコプターなどの発明アイデアも残している.ダ・ヴィンチは1452年トスカーナ地方のヴィンチ村で生まれ,14歳でフィレンツェの画家ヴェロッキオの工房に入り,絵画や彫刻を学び,後にミラノやフランスなどで活動し,1519年にフランスで亡くなったそうだ.

映画『ダ・ヴィンチ・コード』はダ・ヴィンチの作品に隠された暗号を解き明かすミステリー映画で「最後の晩餐」に描かれたキリストとマグダラのマリアの関係など探るストーリーだが,キリスト教の歴史や教義に関わるタブーでもあり,私にはかなり難解だった.

一方モナリザのモデルはフィレンツェの絹商人フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻リザとされているそうだ.なお「モナ」はイタリア語で「夫人」の意という.


セーヌとエッフェル塔

セーヌとエッフェル塔

東から西へ流れるセーヌ左岸にエッフェル塔が立つ.塔は1889年のパリ万国博覧会のシンボルとしてアレクサンドル・ギュスターヴ・エッフェル(Alexandre Gustave Eiffel,1832年~1923)というばかに長い名の建築家の設計で建設され,高さ300mだそうだ.橋に名を残すエッフェルはやはり著名な建築家だったのでしょうね.


セーヌ河畔の露店

セーヌ河畔の露店

セーヌ河畔にも露店が建つ.ここに見えるお店は2軒とも本屋さんだ.やはり仏語本が多いようだ.

面白いのは店舗がぎりぎり道路の外,つまり河川敷に立地していることだ.これで毎日畳まなくて済むし,右側店舗のように丈夫そうな開閉屋根とすることが可能だ.河川敷なので多摩川河畔のダンボールハウスのように固定資産税が掛からないか,若しくは安いのであろう.
エッフェル塔昇降階段

エッフェル塔昇降階段

まだ建設中のような塔内部塔昇降階段がある.でも普通はちゃんとエレベータが動いており上の展望台まで行けるのだ.


エッフェル塔からの眺め

エッフェル塔からの眺め

手前セーヌ川,対岸に左右対称典型的欧州様式のトロカデロ庭園,シャイヨー宮,遠くに新市街のラ・デファンスが見えている.

シャイヨー宮は実際王のいた宮殿ではなく,1937年パリ万博にあわせて建設された大型展示場だそうで,新古典派主義建築という.手前のトロカデロ庭園と一体建築なのであろう宮殿もシンメトリデザインである.


ノートルダム大聖堂ファサード

ノートルダム大聖堂ファサード

大聖堂ファサードには3つのアーチ門があり,これは中央の最後の審判の門と呼ばれるようだ.ここにはお墓から呼び出された死者に対してキリスト教の裁きを受けている様子が表現されているようだ.つまり扉上は3段のレリーフになっており,下段は「復活」,真ん中の段は「死者への天国と地獄の選別」,そして上段の「キリスト教の裁き」では上段中央に座り,手を挙げ傷跡を見せながら自分への信仰を求めるイエス・キリスト,右側の天使が十字架,左側の天使が槍と釘を持っている姿が描かれているようだ.

中段「死者への天国と地獄の選別」はオシフィエンチム(アウシュヴィッツ)で,直ぐガス室に送るか,しばらく労働力として活かすかの選別シーンを思い起こされた

ドア両サイド立体像は12使徒や聖人などであろうか.


ノートルダム大聖堂内部

ノートルダム大聖堂内部

ノー大聖堂の中に入ると天井の高さに驚く.身廊高さは323.5mもあるそうだ.身廊の先は主祭壇で中央に十字架が置かれ,背後はステンドグラスだ.

本大聖堂は800年以上前に建立されたが,残念なことに近年2019年4月15日火災で尖塔の崩落や内部の損傷など大きなダメージを被った.今は順調な回復を待ちたい.


イギリス

シャンゼリゼ通り

パリ市内北西部を横切る約3km,幅70mの大通り.私には無縁だが「カルティエ」や「ルイ・ヴィトン」本店,「ラコステ」....など有名ブランド店が立ち並ぶ.店舗は皆石造りで素晴らしい.

ただ所々に犬の落とし物があって,こんな高級通りなのに,と驚く.飼い主は放っておくようだ.さすが21世紀を1/4経た今は変わったでしょうか.


エトワール凱旋門

エトワール凱旋門

シャルル・ド・ゴール広場に聳えるは大きな凱旋門だ.この広場からは12本の通りが放射状に延び,地図上で光り輝く星のように見えることから、この広場は「星の広場」と呼ばれるとも.

エトワール凱旋門は1805年アウステルリッツの戦いの勝利記念でナポレオンの命で造られた.ただ建造に30年も要し,完成をみたのはナポレオンの死後10年以上経過した1836年ということだ.パリは大きな石造りが多く,建築技術は十分あったであろうに....少し不思議だ.


パリのオペラ座

パリのオペラ座

外側を見たに過ぎないが随分立派な建築だ.1669年にルイ14世が創立したアカデミーを起源とし,1875年に落成したそうだ.

もちろん建物だけでなく,オペラやバレエの殿堂であり,芸術家を魅了し,ここを題材にした名作も数多く誕生したということだ.


さてこうしてパリを楽しみ,北駅からロンドンに帰った.


(2023/12/02記す)



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Rev.1.0:2023/12/02