昔の旅:大分1987

このページは197年法事で大分に行き,冥福を祈り,そして帰路に就く前に親族Kiさんに案内して頂いた2つのお寺さんの写真を載せました.

大分付近のマップ

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TDA(東亜国内航空)便で大分へ

TDA(東亜国内航空)便で大分へ

1987年当時羽田から大分空港へのフライトはTDA(東亜国内航空)が担っていた.そしてこれに乗りこむ.

TDAは後に日本エアシステム(JAS)に社名を変更し,国際線に進出した.ただ’経営は苦しくやがて日本航空(JAL)との経営統合が図られ,TDAやJASのブランドは消滅することになったようだ.


別府湾を望む

別府湾を望む

2つのお寺さん途中,国東半島の丘からは遠くではあるが別府湾がよく見える.美味しい魚が捕れるところであろう.

手前の傾斜地の多くは自然林で,一部ミカン畑や温室が設けられている.自然林で培われた養分を含んだ水が川となって下り,そして湾に注ぎ,美味しい魚を育てるのではなかろうか.


両子寺(ふたごじ)に上る参道

両子寺(ふたごじ)に上る参道

両子寺は国東市の両子山中腹にある天台宗のお寺で山号は足曳山(あしびきさん).写真銅板葺きのように見える山門(綜合門)に続く石段の両脇(写真は左側のみ)に江戸後期の作とされる国東半島最大級総高245cm,像高230cm)の石造金剛力士(仁王さま)像が立つ.

仁王像の足をさすると足腰が強くなるといわれているそうだが,この石段上り下りが実質的トレーニングの場を与えてくれそうだ.


足曳山両子寺に至る

足曳山両子寺に至る

石の階段を上り両子寺に至った.大きな寺で幾つもの建物があり,ここはその一つ,本堂の護摩堂だったと思う.建物外観は銅板方形屋根の木造で組まれ,シンプルでとてもシックなデザインだ.

本寺は養老2年(718年)宇佐八幡の化身といわれる仁聞菩薩により,ご本尊に千手観世音菩薩を祀り建立されたそうである.宇佐八幡の化身とは神仏習合のはしりのようなものでしょうか.


富貴寺に上る参道

富貴寺(ふきじ)に上る参道

両子寺に次いで豊後高田市の富貴寺に案内してもらった.写真はその山門で瓦屋根,富貴寺の寺名を掲げ,両脇に仁王像を従えている.

富貴寺は豊後高田市にある天台宗のお寺で山号を蓮華山と称するそうだ.本尊は阿弥陀如来で,仁聞(にんもん)菩薩の開基という.仁聞菩薩は奈良時代に国東半島の各地に28の寺院を開基したと伝えられる伝説的な僧で,神仏とする説もあるということだ.この辺は上述両子寺の八幡の化身説同様神仏習合思想の影響であろう.


富貴寺に至る

富貴寺に至る

さてここも石段を上り富貴寺本堂(富貴寺大堂)に着いた.既に12月末だが紅葉が綺麗に残っている.富貴寺大堂は阿弥陀堂は宇治平等院鳳凰堂,平泉中尊寺金色堂と並ぶ日本三阿弥陀堂のひとつで,現存する九州最古の木造建築物で国宝に指定されているそうだ.

造りは瓦葺方形屋根の木造建築で,有名な国宝にしては意外にコンパクトな造りだと思った.


みかんを...

みかんを...

公道にはたくさんのみかんが張り出していた,というこじつけで一個頂戴した.親がこうだと子供も......


ということでお陰様で法事は無事行われ,国東半島のお寺を歩くことができた.おしまい.


(2023/12/02記す)


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Rev.1.0:2023/12/02