1996年1/3~1/19の18日間まとまった休暇が得られたのでイギリスの街を歩き,バスや地下鉄で巡ったときの写真をキャプション入りで載せた.なお途中海峡トンネルTGVで別ページで記したパリを往復した.
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成田から飛び立ちロンドンヒースロー空港に降り立った.そして地下鉄(Tube)てロンドン都心に向かい,B&B(Bed & Breakfast)やバーの多いというアールズコート駅に降り,安宿2,3軒を訪ね,その中の一つににチェックインした.そしてバスとアンダーグラウンド共通の一週間定期券を買った.写真貼り付けも必要でやや面倒だった.
そして歩き始めた.最初タワーブリッジ(Tower Bridge)の辺りに来た.この橋は市内を流れるテムズ川(Thames)に架かる跳開橋で,1894年に竣工という.当初橋可動部分は蒸気機関で動かしていたそうだ.流石現在は電力動作という.
橋を間近に眺めるとかなり大きい.2基の尖塔はゴシック様式ということで,相当凝った印象だ.大型船などが通るときは築地の勝鬨橋と同じように路面がハの字型に開くようだ.
いずれにしても橋をわざわざ手の込んだゴシック様式にするあたりは英国ならではと感じる.
これがタワーブリッジに保存されている定置式蒸気エンジン.橋の昇降に使用されていた現物だったようだ.
定置式蒸気エンジンはかつて工場や,ポンプ駆動,発電等に使用されていたようだ.原子力発電にも使われたらしい.現在の原子力発電は同じく蒸気で発電機を回すが殆どはタービンエンジンであろう.
塔は11世紀テムズ川岸に築かれた中世の城塞.観たところ小型尖塔は幾つも見えるが,全体的には横幅あり「塔」の感じは受けない.元々Towerには「砦」の意味があるようだ.
王族の砦,宮殿として築かれたが,後に処刑場や牢獄,収容所に転用された歴史があるそうだ.また現在王様たちの宝石を観ることができると世界的に知られた場所でもあるそうだ.
どこの街か覚えてないがよく見かける一般的な街並みだ.建物は皆エクステリアが異なるがそれが調和しておしゃれな街だ.左端のお店はOxford Campus Storesと書かれているから,オックスフォード大学の辺りか.
クリスマス用品屋台列のようなショップ外れに小さな移動式観覧車が設置されていた.それなりに搭乗者がいてちょっと感激.クリスマスは終わったのでクリスマス用品屋台列はお店を畳むのか,それにしては大きな屋台だし.....この観覧車を含めて常設かな~
移動遊園地に続いて青果市場や雑貨店が並んでいる.大都会だが比較的道幅が広いのでこうした大きな屋台も置けるのであろう.
流石オックスフォードの街はシックな色でとてもいい雰囲気だ.
この街は12世紀からあるという英最古の大学街と云うことで,もちろん日本でも有名だ.「夢見る小塔の都市」とも呼ばれるそうだが写真のような尖塔をを指しているのだろうか.こうした塔は元々小修道院の修道士たちの会合場所として建てられたとか.
ロンドンの中心.5万人も収容できるようだ.バッキンガム宮殿,ビッグベン,ナショナルギャラリーなどが周囲に集まっている.鳩に餌やりが大勢いるがやはり衛生面の問題から後に禁止になったようだ.
写真左上,基部しか写ってないがフランス,スペイン連合艦隊との戦いに勝利したネルソン提督の記念柱のようだ.広場は1805年イギリス軍が記念して作ったそうだ.
当時英,仏,スペイン皆強かったですね~
小説家アーサー・コナン・ドイル著作シャーロック・ホームズ小説の主役シャーロックと友人(助手?)ワトソン君が住んでいた場所『221B Baker Street』にある.
日本で刑事事件の捜査は警察か検察とかで,探偵というと専ら民事,と思う.それが英ではシャーロックやワトソンのような民間人探偵が捜査できるんですね.看板に載っているConsulting Detectiveはそういった捜査ができるということでしょうね.
居間に上がってみると日本のそれとは随分異なった雰囲気だ.全体に薄暗いが白熱球や,暖炉の灯が’温かみを添えている.
以上全部ファンタジーです,もちろん.ただ探偵の捜査権については真面目に気になる.
イギリス最大規模の鉄道駅で,乗降客数も最大という.国内各地を結ぶターミナル駅だがドーバー海峡トンネルを通ってパリ北駅や周辺国まで繋がっている.
今この時点で,パリ北駅とウォータールー駅間でTGV運行から1年経ったということだ.そして私も数日内にパリを往復してみよう,と思った.
ウエストミンスター宮殿は現在英国議会が議事堂(TVニュース画面でよく見るあれですね)として使用しているそうだ.
ビッグベンはウエストミンスター宮殿の時計塔で.15分毎に時を告げるようだ.
このセントポール大聖堂は当初木造で607年頃完成(すごく古いですね),後に石造り,破壊,再建を繰り返し,1666年「ロンドン大火」の後1710年再建という.高さ111mで1962年まで約250年間ロンドンで一番高い建物だったそうだ.
この騎兵隊は英王室直属の特殊部隊で王室騎兵隊とも呼ばれるようだ.銀色の胸当てとヘルメットを着けロイヤルウェディングやパレードなどの式典で儀仗や警護の任務を果たすそうだ.黒い馬は王室騎兵隊の象徴という.なお近衛騎兵隊はライフガーズ(Life Guards)の一部なのかもしれないがよく理解してない.とにかく黒い馬に跨る近衛騎兵隊はとてもかっこいい.
当寺院は、イギリス王室の戴冠式が行われるロンドンで最も権威ある教会.960年ベネディクト派修道院として建立され,現在は英国教会.1066年以降英王室の行事が執り行われてきたという.内部の壁と床には歴代の王や女王,政治家などが多数埋葬され,満杯となっているそうだ.それはそれは長い歴史の為せる技ですね.
建物は黒ずんでしまったが庭の芝生は驚くほど鮮やかなグリーンだ.
こちらは裏側になるのだろうか.それとも横面だったか.どちらにしても上写真のデザインとは共通点がないような.....
日当たりがいいのか黒ずみは少ない.
ロンドンと言えばこの赤いダブルデッカーバスだ.19世紀から走っていたというからものすごい歴史がある.最初は馬車によるバスで,その馬車がダブルデッカー馬車だったそうだ.当時路線馬車はどんどん混み始め,今のネパールやパキスタンのバスのように屋根に乗る事態になり,危険で大勢は乗れないのでダブルデッカーになったそうだ.そしてそれがバスへと引き継がれていったそうな.
でも消防車でもないのに赤いのは何故だろう.しかも京急電車などより彩度が高いし...
イギリスを代表するファッションブランドバーバリー(Burberry)のお店が在った.トレンチコートの裏地などに見る茶系チェック模様(ノバチェックと呼ばれるようだ)程度しか知らないが,それがまたよく知られているので強いブランドなのであろう.
ところでバーバリーの名を上げたトレンチコートであるが,当時英軍バーバリートレンチコートは防水で,戦地で活用されたそうだ.そのトレンチ(塹壕)は現在ロシア軍によりウクライナ軍に対して三重にも掘られ,装備は向上したであろうが苦戦している.元に戻って欲しいものだ.
正面の写真が残ってなかったが,横から眺めてもぶっとい石柱からものすごく壮大な建築と判る.圧倒される.
当博物館は1753年英系アイルランド人医師,科学者ハンス・スローン卿のコレクションをもとに設立されたそうだ.その後、イギリスの植民地化が進んだ結果,自然史博物館などいくつかの分館が設立されたそうだ.自然史博物館は滞在最終日に訪れることになった.
トルコの古代都市クサントスにあったネレイド記念堂が復元されたもの.ぱっと見ギリシャ様式ですね.
クサントスは古代リュキアの都市名で,古代ギリシャ及びローマ人が多くの記述を残しているという.それらによればクサントスはペルシャやギリシャとの戦い,最終的にはやられることになった,との説もある.ただそのようなことは無かったとする説もあるようだ.
そのような歴史の過程でネレイド記念堂(など)が建設されたようだ.
なおネーレーイス とはギリシア神話に登場する海に棲む女神たちの総称ということだ.
古代エジプト、プトレマイオス朝の前2世紀(196BC)初めのメンフィスで出された勅令が刻まれた石碑で,ナポレオンのエジプト遠征の時に発見されたそうな.
碑文は上から順に古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ),民衆文字(デモティック),ギリシア文字3種類の文字が刻まれている.当時同一の文章が3種類の文字で記述されているのではないかと推定されており,1822年ついに仏のジャン=フランソワ・シャンポリオンが解読した.特にヒエログリフの解明は古代エジプト学の進展に大貢献したという.
彼はそれまでの解読者がヒエログリフは表意文字と思い込んでいたのに対し表音文字であると仮定してクレオパトラの固有名などから文字の音価を探り当て,古代ギリシア語に近いコプト語の知識を生かして解読に成功したということだ.
ヒエログリフは動物の形などなので,当然表意文字かと思っていたが違うんですね.それに一番上があの文字数が多くまたややこしい神聖文字(ヒエログリフ)で,中段がいくらか容易という民衆文字(デモティック)というのも不思議というか一つでいいのに.....
ラムセス2世はエジプト国第19王朝のファラオだ.彼はパレスチナ地域の帰属をめぐりヒッタイト帝国との戦いなどで戦果を上げ,エジプト各地に神と自身の業績をたたえる数多くの巨大建造物を築いた.私もメンフィスでバカでかいムセス2世石像を見たことがある.徹底的に権力を誇示するタイプの王様だった訳ですね.
キレネ (Cyrene) は現リビア領内にあった古代ギリシャ都市で,この地方にあった5つのギリシャ都市の中で最大,最重要だったそうだ.現在のリビア東部に相当するようだ.
そのリビアの古代都市キレネで発見された巨大なローマのアポロン像で,他の多数の古代彫刻や碑文とともにこの場所で発掘されたそうだ.
ギリシア神話におけるキレネはラピテス族王の娘で,一目惚れしたアポロンによって北アフリカに連れ去られたとされるそうだ.
似たような話がありますね.ェニキア王アゲノルの娘ユーロペ(Europa)は際立って美しく,ゼウスは一目惚れした.そして白い牛に変身し,ユーロペ姫を背に乗せて誘拐し,エーゲ海を渡るとクレタ島に辿り着き,ヨーロッパを丸ごとあげるからと言い,一緒になったという.まあ誘拐婚の一種であるが,神だから許されるようだ.
子どもたちは先生に連れられ,ノートを手にレクチャーを受けていた.楽しそうだが大変そうでもある.展示品は膨大なので何度でも楽しめるでしょう.私も3回くらい訪れた.
夕方直ぐ日が暮れるが,夕日のテムズ川はなかなかきれいだ.
住宅街の夕暮れもなかなかいいですね.近くのパブには人が集まり始める頃だ.パブは原則立って飲むが,少し椅子も置いてあり,私はいつものように椅子に座りビールと食べ物をオーダーした.
赤いポストも鮮やかですね.日本のポストもこれより若干細いがしばらく前から消えてしまった.やはり四角でないと2種の差し入れ口が付かず,仕分けが面倒だからかな.
バスでお風呂(Bath)の語源になったというバースの街に向かった.一時間ほど走ったかバース中心部に到着した.
写真左側4つの小さな尖塔が見えているのはバース修道院(Bath Abbey)のようだ.ここには千年以上にわたってキリスト教の礼拝の場があり,この間に修道院は多くの変革と変化を遂げてきたそうだ.
湯は濁っているようだが大きな浴槽があり,今も一定量の湯が源泉から供給されているそうだ.
つまりここは燃料でボイラーを沸かすことをせずとも,湧出温度45 ℃の3つの源泉から湯が供給される温泉ということだ.これまであちこちで眺めてきたローマ風呂はどこも木材でボイラーで沸かす方式だったので驚いた.ということは日本の温泉と同じ(一部燃料による追い焚き要するが)方式ですね.
浴槽に降りて見ると構造物は皆石材で今もあまり狂いなく築かれている.もちろんこれまで幾多の補修工事は行われてきたという.これはやはりお風呂と大規模建設に関するノウハウを持ち合わせていた古代ローマ帝国の為せる技だったのでしょう.ただ地階より上の建物は19世紀に建てられたという.
しかし温泉施設はこの周辺で幾つか有り,その地名がお風呂(Bath)の元になったのが正しいとされるようだ.即ちお風呂(Bath)から地名Bathが生まれたというのは逆らしい.
大浴槽には管理人若しくは学芸員の方が居られて,源泉からここに湯が供給される湯路など説明される.
バースの街はこのローマンバスはじめ博物館など整備を続け,観光が一番の産業になっているそうだ.頑張れ!
ブライトンにはバスで行った.だいぶ時間を要したが隣席親切なおじさんが色々話してくれた.
道は農村地帯を多く通過した.麦畑に見える.村も見える.レンガ造りに赤い瓦だ.一階建てだが大きな屋根裏部屋のある構造かな.
ブライトンはイギリス海峡に面しイギリス有数の海浜リゾート都市だそうだ.
ただし真冬1月の今浜辺には人っ子一人いない.そりゃそうです,朝8時はまだ真っ暗で午後4時には日が落ち,天気もあまり芳しくない土地ですから(^^;
ここの海岸ではサバやカレイなどが釣れるそうだ.大魚ですね.
英での釣りは許可が必要で,現在デイチケットは4ポンドというから結構な値段ですね.お金だけで言えばスーパーで買うのが安いでしょうが,釣りの楽しみは買えませんね.
インド風ドームの載ったたてものが目立つ.ジョージ4世(在位1820年~1830年)が摂政時代に海辺の別荘として建てた宮殿で,インド風(+イスラム風)外観で,内装は中国風ということだ.
そしてWikiによればジョン・ナッシュという人の設計と書いてある.ジョン・ナッシュと言えばゲーム理論などでノーベル賞を得て,近年交通事故で亡くなられた有名な数学者ですね.たまたま名前が一致したのですね.
なおジョージ4世は快楽王,放蕩王で,この離宮建設,完成後の社交に莫大な経費を費やし,建築や工芸,ファッション,音楽といった面に貢献したが王室に多大な損害を与えたそうである.
何の変哲もない静かで美しい街並みだ.多分冬ならではの一面もあろう.
前述のようにここは英有数の海浜リゾート,観光都市で,ホテルやレストラン,エンターテインメント施設が多いそうだ.そして施設を活かしたカンファレンスなども頻繁に開催され,大学や語学学校など教育施設が多く,そのためパブやナイトクラブも盛んだそうだ.
Blue Dragonというタトゥーショップが看板を出していた.看板の一部に実際の施術例写真が載っている.腕に彫られたのが多く,背中全体とか本格的なものはあまり載っていない.
18歳以上限定とも書かれているが,それでいいと思う.ということでこれでロンドンに戻る.
ロンドンに戻りナショナル・ギャラリーで,今処刑されようとするプリンセスの怖い大きな油絵を見たり,映画博物館を見たり,バッキンガム宮殿....と色々歩いたのだが写真が見つからなかった.
そして滞在最終日地下鉄駅近く,250年の歴史を有するというロンドン自然史博物館に行く.先述したがここは大英博物館の一部門としてスタートし,動物や植物,鉱物のコレクションが専門のようだ.私は恐竜の巨大さに驚いてしまった.そしてそうこうしているうちにフライト時間が近くになり,地下鉄でヒースローへと行き,成田に帰国した.全般にゆったりした旅が楽しめた.おしまい.
(2023/12/02記す)