このページでは主に中国桂林,それと経由地香港と広州観光の写真を載せました.
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日にち | 地名 | 宿泊 |
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1日目 2023/ 8/1(土) |
⇒①成田空港⇒16:00発CX451便⇒②香港20:45着⇒バスでホテルへ⇒ | ミラマーホテル |
2日目 8/2(日) |
ホテルで朝食⇒広州行き波止場⇒ホバークラフトで③広州へ⇒広州市内観光⇒CA3337便で④桂林へ,市内で夕食後ホテルへ | 台聯飯店 |
3日目 6/3(月) |
ホテルで朝食⇒漓江下り,船内昼食⇒ホテルへ戻り夕食 | 同上 |
4日目 6/4(火) |
ホテルで朝食⇒CA3904便で⇒③広州へ⇒市内レストランで夕食⇒ホテルへ | 白雲賓館 |
5日目 6/5(水) |
ホテルで朝食⇒91次直通列車で⇒②香港へ⇒飲茶料理のランチ⇒香港島観光⇒湖州料理のディナー⇒ホテルへ | ミラマーホテル |
6日目 6/6(木) |
水車屋レストランで朝食⇒車でカイタック空港へ⇒10:00発CX504便で成田へ⇒14:55成田着,おしまい21 | ー |
--------------- 桂林1987/6/1 ---------------
一同に会するのにちょうどいいと成田空港に見送りに来てくれた,おおきに.
搭乗前にこんなに近くまで寄れる...なんてことないよな~と思う.多分展示機ではなかろうか.
そして搭乗時間になり,CX451便は定刻16:00になると飛び立った.現在の機材はB777-300のようだが,当時はまだこの機種は無かったのでもっと小さな機種だったかな.B747だった可能性もあろうが.
CX451便は香港カイタック空港目がけて飛んだ.そして定刻20:45に到着した.到着後ミラマーホテルにチェックインし,ここで一泊.
--------------- 桂林1987/6/2 ---------------
ミラマーホテルの一夜が明け6/2になった.ここで朝食後広州行きホバークラフト波止場に行った.写真左上がホバークラフトかな.
ホバークラフトは弾性体スカート部に空気を送り,水に浮かべるので摩擦抵抗がほぼなくなり高速運行が可能となる.私達はどれくらいの時間で渡ったか覚えてないが,この時代に一般客用に運行していたことに改めて驚く.
ホバークラフトが広州の港に着くと,バスとガイドさんが待ってくれていた.広州では簡単な市内観光と昼食を頂く.
今はあまり見ないが当時は自転車が多く走っていた.この変容ぶりは中国の急激な経済発展とシンクロしているように感じる.
それと個人的にちょっと面白いと思ったのが所々に設置された写真の変圧器だ.かなり大容量タイプが低いところに据えてある.メンテナンス性向上のためであろうが,高圧線も低いところを這うので安全性確保も大事だ.
そしてここで昼食後広州空港に向かう
さてここからは中国民航CA3337便で桂林に飛んだ.
尾翼にB-2512の機体番号が記されているが,現在は厦門航空保有,機種はBoeing 737-200と載っていた.737-200は長い年月飛んでますね.
バスで桂林市内を眺めつつレストランに向かった.途中露店の青果市場を通過した.今が旬なのであろうスイカのお店が並んでいる.
背後に色々な看板が出ているが,「桂林何とか会社の招待所」というのがありますね.招待書は後にヒマラヤ地帯で宿泊したことがあるが,このような平地の街にも在ったのですね.多分今はないのかな....いや観光客が多いのでいまも継続しているかな....
両端にバスケットを下げた天秤棒の人が歩いて行く.バスケットの中身はそう多くないが天秤棒の撓い方を見ると相当重そうだ.お気をつけて.
こちらが桂林のガイドさん.車窓の眺めを解説して下さった.明日以降も担当されるという.どうぞよろしく.
そしてこの辺りのレストランで夕食を頂く,ちょっと早いかな.
そのうち台聯「酒店」に到着した.旅程書には「飯店」と載っていたが,写真で玄関の表札は「酒店」となっている.一般に酒店が高級であるそうだが.近年は飯店と言うとレストランを指す場合が多くなっているようだ.で酒屋さんは何と言うのか?タバコも一緒に売っていることがよくあるので烟酒店とか言うことが多いらしい.
台聯酒店辺りの通り風景だ.やはり自転車が多いのが目立つ.街路樹が多く瑞々しいのがいい.
さてこうして6/2は暮れていった.明日は漓江下りだ.
--------------- 桂林1987/6/3 ---------------
台聯酒店のレストランを上階から眺めた様子.も少し朝食料理が並ぶまで間がありそうだ
朝食後バスで船着き場近くまで送ってもらう.そして漓江岸まで歩く.観光客が多いので大勢歩いている.天気が良くて幸いだ.
歩いていると小さな竹林があり,筍が出ていた.ちょうど食べ頃のようだ.引っこ抜いてドロボーしようと試みたが,抜ける筈もなく敢なく失敗.
船着き場までの沿道には色々な売店が並んでいる.ここはTシャツなどの衣類店が集まっているところだ.
そしてここは乗船券渡し所だったか.大勢歩いているので迷わないようにしなくては.
混雑のなか無事遊覧船に乗り込んだ.継いで直ぐに出航.そして有名なカルスト地形の山々が目の当たりに迫ってくる,素晴らしい.
桂林は3~5千mの厚さに堆積した石灰岩地帯に位置し,石灰岩は流水に溶けやすく,地殻変動で生じた割れ目に石灰岩の溶解が進んだという.その結果典型的なカルスト地形が形成されたそうだ.そしてその範囲は広大で,世界的にも稀ということだ.
カルストの山であるが,とても緑豊かだ.高温多湿であるためらしい.
また今渡っている漓江はそれこそ何千もの山や谷の間を曲がりくねって流れているそうで,水はかなり澄み,両岸の所々に住居が見える牧歌的な光景が美しい.
ここは中国でも有名な観光地なので行き交う遊覧船も多く航行し,客も満杯だ.いや~なかなか見事だ.
前述のようにこうした集落が時々見える.男性がカヌーでバスケットに入れた荷物を運んでいる.喫水線がかなり高いところにあるので,ちょっと傾いたら水に浸りそうだ.腕が要りますね.
こちらは遊覧船ではなく定期運行の住民用連絡船でしょう.随分大勢乗ってますね.これから職場に向かうのでしょうか.
こちらの女性は私達の昼食の準備中だ.小さな貝をより分け,殻を外しているのかな.貝は当然この漓江ですくい上げたものでしょう.
長々と眺めてきたが,ここでもう一枚決定的なショットを収める.
まあこうして眺めてきたが,他のカルスト地形と比べて範囲が広いのが最大の特徴かな.鍾乳洞とかでなく明るいところを延々と航行できるのもいい.
このように今回旅行の最大イベント漓江下りは終わった.そしてホテルに引き上げ夕食を頂戴した.
--------------- 桂林1987/6/4 ---------------
さて台聯酒店で6/4の朝が来た.そして日月潭咖啡の名を掲げたカフェで朝食を頂く.
ところでホテル名の台聯は台湾団結連盟の台湾での略称であるそうだし,またカフェの日月潭は台湾のよく知られた湖だ.ということでホテルオーナーは台湾の方であろうか.
でもそのような政治的響きのある団体が桂林で名を掲げてホテル経営ができるのだろうか.....
朝食を済ますとバスで鍾乳洞へと出かけた.途中住民の皆さんも職場に向かったり,写真のように三輪自転車に盛大な荷を運ぶ姿も見える.いや~馬力がありますね.
桂林には数か所の鍾乳洞があるそうだが,ここはその一つ.
中に入ると鍾乳石が垂れ,石筍,石柱が立っている.
鍾乳洞内部ではここ専任ガイドさん(右端)がいろいろメガホンで説明してくださる.中国の人はこうした自然石を他のものに見立てるのがとても上手いので,そういった解説もあろう.ただ多分中国語だったので私には解らなかったが.
鍾乳洞見物を終え,途中の桂林風景を眺めながら動物園に向かう.
豪快なカルストの岩山が立っている.漓江畔と違って雨量が少ないのか頂部に樹木はないですね.
住宅街の眺めだ.小規模な集合住宅がかなり密集している.まだこの頃は所謂発展途上国扱いだったのだと思う.
リヤカーなどに野菜や果物を積み,市場に集まる.移動店舗の市場ということだ.天候やお客さんの出足等見ながら移動するのであろう.冬瓜であろうか大きな丸いものが並んでますね.
パンダを見るためにここ桂林動物園にやって来た.さて見えるかな~
パンダは檻の中にいました.ただシェスタに入ったのかお昼寝中だった.少し残念.
パンダはお昼寝で動かないので,グラブのように手を入れて,動かせるパンダぬいぐるみにしてもらった.これで我慢して頂戴.
次は畳彩山だ,先ずは赤い柱に反り返った屋根の門に至る.畳彩山は桂林市の北面,漓江の西岸にある名所という.畳彩山は桂林一帯のカルスト地形の一部で,上に至れば広範囲にその景観を味わえることになる訳だ.
畳彩山の主峰明月峰への石段を登りきると桂林の街並みと漓江の山水風景が一望できる.なかなか雄大ですね.
そして畳彩山風洞にたどり着く.風洞は全長20m,最大幅9.2mの洞窟.洞窟両端は広いが中間では人がようやく通れるくらいの狭さで,空気の対流で一年中風が通るため風洞と名付けられたそうだ.
日本語で風洞と言えば専ら実験用に風を送る大きな筒だ.熱した金属球が流れる空気中でどのように温度変化するかは偏微分方程式を解くのだが,解が無限級数なので厄介だ.そして無限級数の数項を取れば結構近似できるのではなかろうかと風洞で冷やしながら温度測定する実験をしたのだった.大昔のことだった.
風洞内部には詩(と思われる)が彫られ,仏像のレリーフが刻まれている.顔が黒く謳歌ピカピカしているのは大勢に撫でられたせいかな.
これで桂林の観光は終わった.私達は桂林空港に送ってもらい中国民航CA3904便で広州に向かった.優しいガイドさんありがとうございました.
CA3904便は順調に飛び,広州に到着した.桂林と違って大都会で大きな建物も目立つ.私達の今夜のホテル白雲賓館もかなり大きな建物らしいが,見えるかな.....
ただ眺めるにはこうした自転車いっぱいの光景がいいですね.
広州と言えば広東料理の本場として有名だ.私は中華料理大好きだが,中でも広東料理は味が濃すぎずいいと思う.ワンタン麺,海老餃子,豚まん....等がよく知られているという.そんな広州には3万軒のレストランがあるそうだ.
市内レストランで地方風味即ち広東料理の夕食を頂き,その後白雲賓館にチェックインした.振り返るとあちこち動き回り運動量の多い日だった.なおレストランでは雑技団の演技が披露された.
さて明日はホバークラフトではなく列車で香港に戻る.駅で駆けっこがあるらしいが.
--------------- 桂林1987/6/5 ---------------
さて6/5広州の朝となった.白雲賓館で朝食を頂き,広州駅に行った.香港行き列車に乗るためだ.この電車は全席座席指定の筈だがなぜか広州駅では走って乗るのですよ,と言われていた.やがて理由が分からないまま走って乗ったと思う.写真は走った後かな~
香港行き列車の車内はこんな感じだ.JRのローカル線などと似てようか.九龍(クーロン)までは2時間くらいの予定だ.
そして列車は香港エリアに入ってきた.線路脇にバナナの木が生えている.香港はバナナがよく育つ台湾の南に位置するから不思議ではないのだが初めて目にし,ちょっと驚いた.
程なくクーロンに到着した.少し街を歩き飲茶料理のレストランに入りランチを頂く.飲茶料理も上述広東料理のカテゴリーに含まれようか,美味しい.
ここがどこか思い出せないがまあクーロンの広場だ.背後の山が緑で覆われているのが気持ち良い.
九龍は九龍半島の先端にある地域で,香港島,新界とともにイギリスの直轄植民地だったが1997年7月,中国に返還された.
どこで知り合ったのか手を握って,友達になったよ~といった雰囲気だ.こうした機会は普段なかなかないので旅行はいいと思う.
多分トラムで高さ400m余のビクトリアピークに上った.香港の高層建築街が見下ろせる.その先は九龍湾(Kowloon Bay)だがボケてしまった.
こうして一通り九龍を見て回り,次は定番のショッピングに案内された.そして夕刻になり,湖州料理レストランに連れて行ってもらう,美味しかった.湖州料理とは上海のすぐ隣に位置する湖州の料理で上海料理の一バリエーションということだ. 違いは海に面していないため海鮮を使うことがほとんどなく,コイやフナなどさまざまな湖の魚を食材に供するのが特徴だそうだ.
こうして夕食が済むと往きでも一泊したミラマーホテルにチェックインし,一泊した.
--------------- 桂林1987/6/6 ---------------
明けて6/6朝となった.荷物をまとめて途中レストランで朝食を頂きカイタック空港へ行った.やがてキャセイパシフィックのCX504便に乗り込み,成田に向かう.
順調なフライトで定刻の午後3時頃到着し,京成で帰宅した.皆さん色々ありがとうございました.おしまい.
(2023/12/02記す)