このページでは,既存ページから転載し,ルゴヴァ渓谷(コソボ),ビストリツァ川(同),バルダル川(マケドニア),オスミ川(アルバニア),ネレトヴァ川(ボスニアヘルツェゴビナ),ミリャツカ川(同),ドリナ川(同),サヴァ川(セルビア),ドナウ川(同),イリ河(中国新疆ウイグル),大渡河(中国四川省),マリッツァ川(ブルガリア),ヤントラ川(同),ドナウ川(ルーマニア/ブルガリア国境),太魯閣渓谷(台湾),プレック川(インド/シッキム),ダルチャ川(インド/ザンスカール),シンゴラ川(同),カルギャック川(同),ツァラップ川(同),ドゥルンドゥル川(同),ザンスカールのインダス川(インド/ラダック),メリッチ川(トルコ),ユーフラテス川(同),ホイアンのトゥボン川(ベトナム),フエのフォン川(同),フォンニャケバンのソン川(同),バッチャン村手前ホン川(同),エヤーワーディー川(ミャンマー)の写真を載せました.
ルゴヴァ渓谷(Rugova Valley)
ペーチ総主教修道院を訪れた.修道院が面するこの川はモンテネグロ国境の山から流れ出るルゴヴァ峡谷の下流になるそうだ.美味しいマスが棲息し,漁が行われるそうだ.
以上南バルカン紀行2013/ペーチ(またはペーヤ)のページから.
ビストリツァ川(Bistrica river)
プリズレンの街の真ん中をビストリツァ川(Bistrica river)が流れ,左右対岸を数本の石橋が結んでいる.両対岸には各種ショップやカフェ,レストランが並んでいる.
以上南バルカン紀行2013/プリズレンのページから.
バルダル川(Vardar river)
バルダル川はコソボとの国境の山脈から流れ出て,スコピエの中心を流れ,やがてギリシャを通りやがてエーゲ海に注ぐそうだ.有名なカメンモスト袂に新しい国立考古学博物館建設中だ.
以上南バルカン紀行2013/スコピエのページから.
オスミ川(Osum river)
ベラートの街にはオスミ川(Osum river)が横切って流れている.かなり広く蛇行しているが,なかなかの曲者で雨季にはしばしば氾濫を引き起こすのだそうだ.
以上南バルカン紀行2013/ベラートのページから.
ネレトヴァ川(Neretva river)
モスタルから流れ来るネレトヴァ川(Neretva)の形成した畑の広がる河口州だ.川の恵みが良く解る.
以上南バルカン紀行2013/メジュゴリエのページから.
ミリャツカ川(Miljacka River)
サラエボを流れる.写真より少し下流に架かるラテン橋(旧プリンツィプ橋)でサラエボ事件が起こった.つまり1914年6月28日,青年ボスニア党所属,ボスニア出身のセルビア人ガブリロプリンツィプ(Gavrilo Princip)がオーストリアハンガリー帝国皇太子フランツフェルディナント夫妻をピストルで狙撃し,殺害した.そして第一次世界大戦へと進んでいった.
以上南バルカン紀行2013/サラエボのページから.
ドリナ川(Drina River)
ヴィシェグラードを流れ,深いグリーンの水を満々と湛えている.また橋はソコルルメフメトパシャ橋として世界遺産に登録されている.
以上南バルカン紀行2013/ヴィシェグラードのページから.
サヴァ川(Sava river)
カレメグダン公園から眺めた写真で,左から流れて来ているのがサヴァ川.
以上南バルカン紀行2013/ベオグラードのページから.
ドナウ川(Danube river)
カレメグダン公園から眺めた写真で,上から流れて来ているのがドナウ川.
以上南バルカン紀行2013/ベオグラードのページから.
イリ(伊犁)河(Yili river)
イリ河は天山山脈から流れ出て,ここイーニンを通り,カザフスタンのバルハシ湖に注ぐそうだ.黄河や長江など中国の殆どの河が普通東の太平洋側に注ぐのに対して,西向きに流れるには珍しいそうだ.
以上天山北路を行く2013/イーニン(伊寧)のページから.
大渡河(Dadu River)
タークーニャン山登山口への道が大雨で決壊し,南回りルートに迂回した.石綿で高速を降り,かなり山の中に入ってきた雰囲気が感じられる.そして土色の大きな流れが目に入ってきた.大渡河(Dadu River)と呼ばれるそうで,岷江の支流,長江水系に属するそうである.
以上タークーニャン山トレック2013/リーロンへのページから.
夕暮れのマリッツァ川(Maritza river)
プロブディフの市街にはマリッツァ川が流れている.これはその畔のマリッツァホテルから,対岸の丘の旧市街方面を眺めた様子.マリッツァ川はブルガリアの西から東へ,プロブディフを通過して流れ,トルコとの国境を越えエーゲ海に注ぐそうだ.
以上東欧紀行2013/プロブディフのページから.
ブルガリアのヤントラ川(Yantras)
ブルガリアのベリコタルノボの街に流れる大事な川はヤントラ川.郊外には趣きのある橋が架かっている.橋の名の由来ともなっている著名な建築家コーリョフィチェト(Kolyu Ficheto:1800~1881) が1865年~1867年に建設したものだそうだ.
以上東欧紀行2013/ベリコタルノボのページから.
ルーマニア/ブルガリア国境のアセンシドナウオ川(the Donau)
パイネ国立公園(チリ)のパイネの塔(Torres del Paine)トレッキングトレイルに沿っているのがアセンシオ川(Rio Ascencio).目指すトーレス湖(Lago las Torres)まで続いていた.
以上東欧紀行2013/ルセのページから.
パイネ国立公園(チリ)のアセンシオ川(Rio Ascencio)
ドナウ川はルーマニアとブルガリア国境を流れている.マップのページを拡大して眺めると,どうやら2国間国境線の3/4くらいの長きに渡っているように見える.ドナウは11ヶ国を通過し,全長は日本列島より長いそうだが,その30%はルーマニア/ブルガリアが占めるという.凸凹路面がルーマニアの財政状況を具に物語っている.川の中央でブルガリア側に入ると路面はかなり滑らかになる.
以上パタゴニア紀行2013/パイネの塔ハイクのページから.
ロスグラシアレス国立公園(アルゼンチン)のフィッツロイ川(Rio Fitzroy)
ロスグラシアレス国立公園(アルゼンチン)内のトーレ湖へ登り,そこに聳えるセロトーレを眺めるコースのトレッキングトレイルに沿っているのがフィッツロイ川(Rio Fitzroy).途中パトデトレンテと呼ばれる水鳥やハヤブサ科の猛禽カランチョなど眺めることができた.
以上パタゴニア紀行2013/セロトーレハイクのページから.
ロスグラシアレス国立公園(アルゼンチン)のブランコ川(Rio Blanco)
ロスグラシアレス国立公園(アルゼンチン)内のフィッツロイ山を目指すハイキングで,ポインセノットキャンプサイトの近くを流れるのがブランコ川(Rio Blanco).小川で,周囲に湿地を形成している.
以上パタゴニア紀行2013/フィッツロイハイクのページから.
ロスグラシアレス国立公園(アルゼンチン)のラスブエルタス川(Rio de Las Vueltas)
デシエルト湖(アルゼンチン)に向け,チャルテンからはラスブエルタス川(Rio de Las Vueltas)に沿う未舗装道路をがたがたと北上した.ラスブエルタス川は目指すデシエルト湖(Lago Desierto)から流れ出てくるようだ.中央の山はトレンタアンパサリオ山(30 Aniversario:2029m)と呼ばれるようだ.
以上パタゴニア紀行2013/デシエルト湖ハイクのページから.
ラレオナラレオナ川(Rio La Leona)
ビエドマ湖(アルゼンチン)から流れ出てくれが,氷河溶解水の特徴である少しミルク色がかっている.直接太平洋に行かないで,または途中でサンタクルス川と合流するのでもなく,アルヘンティーノ湖に注ぐ.
以上パタゴニア紀行2013/デシエルト湖ハイクのページから.
カラファテのサンタクルス川(Rio Santa Cruz)
カラファテ(アルゼンチン)のパタゴンホテルを発ち,アルヘンティーノ湖沿いを走り,北へと向かった.やがてアルヘンティーノ湖から流れ出るサンタクルス川(Rio Santa Cruz)を越える.この川は大西洋へと注ぎ,1894年(明治27年)この周辺で農場が開かれた頃,アルゼンチン政府はイカダを建造し,羊や人を運搬に活用したということだ.ここから大西洋まで1ヶ月も要したそうだが,イカダ1艘で羊は200頭まで載せたそうである.
以上パタゴニア紀行2013/デシエルト湖ハイクのページから.
ブエノスアイレスのラプラタ川(Rio de la Plata)
ブエノスアイレスのホルヘニューベリー空港は巨大なラプラタ川の畔にあった.土色のラプラタ川はアルゼンチンとウルグアイ国境を流れ,この辺りでは川幅が42kmもあるというからもう殆ど海だ.対岸のウルグアイはもち論見えない.大きな川なので大きな魚が掛かりそうだ.
以上パタゴニア紀行2013/カラファテへのページから.
太魯閣渓谷(Taroko Gorge)
花蓮市から間近い太魯閣(タロコ)国家公園内を流れる渓谷.台湾で代表的な観光地.
以上台湾めぐり2012/太魯閣渓谷のページから.
プレック川(Prek Chu)
ゾングリ(Dzongri/4,030m)から高原を暫く行くとやがて石積みのチョルテンとタルチョーで彩られたデオラリ(峠)に到着した.デオラリからはこの日のキャンプサイト,ラムエへと遡るプレック川(Prek Chu)の谷が望めた.またプレック川の先のパンディム(Pamdim/6,691m)の青空に映えて美しい.
以上シッキムトレック2012/ラムエへのページから.
ダルチャ川(Darcha River)
ザンスカールトレックを終えて,ザンスカールスムドから4WDに分乗し,マナリへと向かった.先ずはダルチャ川(Darcha River)沿い道を走った.標高が下がったので緑が増えて美しい.
以上ザンスカールを歩く2012/マナリへのページから.
シンゴラ川(Shingo La River)
ザンスカールトレック後半のハイライト,シンゴラ(Shingo La/5,095m)を越えると,その先はひたすらシンゴラ川(Shingo La River)の沿うトレイルを下ることになった.ここはチュミナクポから下り,少しするとラムジャックに着く辺りだ.
以上ザンスカールを歩く2012/スムドのページから.
カルギャック川(Kargyak River)
ザンスカールトレック後半,最後の村カルギャック外れのキャンプサイトを出発した.カルギャック川(Kargyak River)沿いのトレイルはこの日もなだらかで楽な道だ.先には聖山ゴンボランジョン(Gomboranjon:4,700m)が見えている.
以上ザンスカールを歩く2012/ラカンへのページから.
ツァラップ川(Tsarap River)
プクタルゴンパに行くトレイルはこのツァラップ川(Tsarap River)沿いのトレイルを進む.この季節,他のザンスカールの川同様激しく泥色に濁っている.
以上ザンスカールを歩く2012/プクタルへのページから.
ルシャゴンパから望むドゥルンドゥル川(Drung Drung River)
カルシャゴンパの坂を下る時,ドゥルンドゥル川(Drung Drung River)を望むことができる.またその手前にはパドゥムの街が,そして向こうには左側パドゥムカン(Padom Kangまたは別名Paburigo:5,190m)や右側ジュントンラク(Jungtun Lak)といった峰がよく見える.
以上ザンスカールを歩く2012/パドゥムへのページから.
ザンスカール川(Zanskar River)
ザンスカールのプルフィラ(Parfi La/4,720m)を越えてからは,ザンスカール川(Zanskar River)左岸に沿うトレイルを下る.つまり川を遡る方向だ.川は殆ど泥色で,急峻な流れが大地を削り深い谷を形成している.
以上ザンスカールを歩く2012/ハナムルへのページから.
ザンスカールのインダス川(Indus)
ザンスカールの中心都市レー(Leh)から西に進むとインダス川に出合い,この流れに沿う道を行くことになる.雨の少ない(殆ど降らない)季節であるが,インダスは完全に茶色の濁流である.
以上ザンスカールを歩く2012/アルチへのページから.
エディルネのメリッチ川(Maric)
ギリシャから480kmも流れてくるというメリチ川.ここに架かるメリチ橋もまた長い歴史があるそうだ.
以上トルコ紀行2012/エディルネのページから.
ユーフラテス川(Euphrates River,Firat)
ガジアンテップを出てシャンルウルファに向け,東へと走った.緩やかな丘陵を暫く行くとこのユーフラテス川に出合った.ただし,トルコではユーフラテスとは呼ばれず,フーラト(Firat)川と呼ばれるそうだ.
以上トルコ紀行2012/シャンルウルファのページから.
ホイアンのトゥボン川(Thu Bon River)
ホイアンにはトゥボン川が流れている.結構大きな川だ.地図で見ると流れは単純な一本ではなく,途中で流れが複数に分岐したり.交わったり,また分岐したり,曲がりくねり....と,いかにも氾濫が繰り返され,治水しようがない川のように見える.ちょうどこの日はボートレースが行わていた.かなり気合の入ったレース展開だ.ボートレースはホイアンの夜祭りのある日(旧暦満月の日)の昼間に開催される慣わしだそうだ.
以上ベトナム紀行2012/ホイアンのページから.
フエのフォン川(Perfume river)
フォン川は漢字では「香川」と書くらしい.で,英語では「Perfume River」となるようだ.ティエンムー寺近くの乗り場で屋形船に乗り込む.船はカタマランで,船室というか,客室というか...は殆ど真四角だ.船体側面に古の王朝を偲び龍の絵が描かれている.なのでまたドラゴンボートとも呼ばれるようだ.これで今夜宿泊のホテルまでクルージングだ.
以上ベトナム紀行2012/フエのページから.
フォンニャケバン国立公園のソン川(Son river)
フォンニャケバン国立公園のソン川(Son river)船着場から,鍾乳洞に向かうボーターボートに乗り込んだ.船体にはフォン川のドラゴンボート程立派ではないが一応ドラゴンが描かれ,ベトナムの雰囲気を演出している.しばらく進むと写真の村があった.前面は川,背後は山で,出かけたり,人を招いたりするにはなかなか大変なところだ.今は水位が低いが,雨季には現位置から1m以あまり上がるので,川岸は水没するという.
以上ベトナム紀行2012/フォンニャケバンのページから.
バッチャン村手前ホン川(Red river)
ハノイから走り,バッチャン村に入る少し手前で見えるホン川(Red river).川岸のあちこちに藁葺の東屋が見える.多分釣り人がここで釣り糸を垂れるのではなかろうか?このホン川はまたバッチャン陶器を運び出すのにかつて,そして多分今も活用されている筈だ.
以上ベトナム紀行2012/フォンニャケバンのページから.
エヤーワーディー川(Ayeyarwady River)
エヤーワーディー川(Ayeyarwady)は1989年までイラワジ川(Irrawaddy)と呼ばれたそうだ.何でも同年連邦政府が古いビルマ語の発音に由来するIrrawaddyから,現代ビルマ語の発音に近いAyeyarwadyに変えたそうな.マップのページで,グーグルマップを拡大してみるとよく見えるが,ミヤンマーの最北端ヒマラヤから国土中央を縦断しヤンゴンの西に至っている.これを見ただけで重要な川だと思ってしまう.メコンのように中国に源流を抑えられていることもなく,自国内を2,000km以上流れるているというから,貢献度は高かろう.
以上ミャンマー紀行2011/バガンのページから.