このページでは,既存ページから転載し,ニーヴ川(フランス),アルガ川(スペイン),エガ川(同),エブロ川(同),ナヘリリャ川(同),ティロン川(同),アルランソン川(同),カステージャ運河(同),カリオン川(同),エスラ川(同),ポルマ川(同),ベルネスガ川(同),オルビゴ川とパッソオンロッソ橋(同),メルエロ川(同),クア川(同),サリア川(同),ミーニョ川(同),フロレス川(同),イソ川(同),ベタ川(チャド),ラーメル渓谷(アルジェリア),エポニマス渓谷(同),ソンホン川(ベトナム),ダー川支流(同),黒ラチ族村の川(同),ドッグリバー(レバノン),松花江(中国),伊通河(同),渾河(こんが)(同),増穂川(愛媛県),昿川(ひじかわ)(同),小田川(同),浅川(同),渦井川(うずいがわ)(同),財田川(香川県),詰田川(同),吉野川(徳島県),鮎喰川(同),勝浦川(同),立江川(同),那賀川(同),宍喰川(同),奈半利川(高知県),安田川(同)の写真を載せました.
ニーヴ川(フランス)
フランス人のカミーノ巡礼始点サンジャン・ピエドポーに流れるニーヴ川(Nive).脇にはノートルダム教会があり,その鐘楼を潜るとニーヴ川に架かる石橋(ノートルダム橋)となる.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼始点サンジャン・ピエドポーへのページから.
アルガ川(スペイン)
フランス人のカミーノを歩き始め,3日目くらいからアルガ川(Rio Arga)を越えたり,あるいは沿いながら歩く.写真はズブリのアルベルゲを出てパンプローナへ向かうトレイルで,アルガ川に沿って進む.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼3日目:パンプローナへのページから.
エガ川(スペイン)
巡礼5日目,エステージャの街に入るとエガ川(Ega)が巡礼道に沿い流れるようになった.緑がかった流れの水面は静かだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼5日目:エステージャへのページから.
エブロ川(スペイン)
巡礼7日目,糸杉並木道を行くと,かなり大きなエブロ川(Ebro River),そしてそれに架かるピエドラ橋(Puente de Piedra)に出合った.ピエドラ橋は最初11世紀頃4連アーチで建設されたそうだ.現在の橋はアーチの数を多くし,車道両側に歩道も設け,大きな交通量をこなしている.この橋を渡るとログローニョの街だ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼7日目:ログローニョへのページから.
ナヘリリャ川(スペイン)
巡礼8日目,ナヘリリャのアルベルゲ少し手前でナヘリリャ川(Rio Najerilla)を渡った.結構川幅がある.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼8日目:ナヘラへのページから.
ティロン川(スペイン)
巡礼11日目,サンタマリア教会直属アルベルゲを出発し,まもなくティロン川(Rio Tiron)を越える.川には車道用,巡礼路用各専用の橋が架かり,これを渡る.この時期のティロン川は大した流量はなく,川底の上を浅く流れる程度で,露出した底石が見えている.多連アーチの石橋は太鼓や三角ではなく平面だ.比較的近年の建造であろう.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼11日目:サン・ファン・デ・オルテガ修道院へのページから.
アルランソン川(スペイン)
巡礼13日目,ブルゴスを出発し,少しして一旦アルランソン川(Rio Arlanzon)を越える.そしてまたしばらく進むと再度アルランソン川に出合う.この辺りではコウノトリが餌を探しているようだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼13日目:オルニージョス・デル・カミーノへのページから.
カステージャ運河(スペイン)
巡礼15日目,ボアディージャ辺りを過ぎると.やがてカミーノはカステージャ運河(Canal de Castilla)に沿うようになる. 18世紀半ばから19世紀半ばにかけて建設され,総延長207kmに達するというからすごいものですね.川幅は11~22m,水深は1.8m~3mだそうだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼15日目:カリオン・デ・ロス・コンデスへのページから.
カリオン川(スペイン)
巡礼16日目,カリオン・デ・ロス・コンデスを出発し,まもなくその名と同じカリオン川(rio Carrion)の橋を渡る.結構歴史がありそうな石橋の両側歩道には所定間隔でバルコニーが設けられている.バルコニー下は積石で,重要な構造部材の一部を形成している.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼16日目:レディゴスへのページから.
エスラ川(スペイン)
巡礼19日目,マンシージャを発つと程なくエスラ川(Rio Esla)に架かる橋渡る.大きな橋の歴史は12世紀まで遡り,途中建て替えられたそうだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼19日目:レオンへのページから.
ポルマ川(スペイン)
巡礼19日目,エスラ川の次はポルマ川(Rio Porma)に至る.ポルマ川に架かる橋はメインの大きなアーチ橋の他,木道のような構造の巡礼路橋が設けられている.地名プエンテ・ビジャレンテのプエンテは橋なので,即ちビジャレンテ橋がそのまま村の名になったようだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼19日目:レオンへのページから.
ベルネスガ川(スペイン)
巡礼20日目,レオンを歩き始め少し進むとサンマルコス広場の先でベルネスガ川(Rio Bernesga)を渡る.橋はサンマルコス橋(Puente de San Marcos)と称され18世紀に建造されたそうだ.これまで通った橋の中では必ずしも古くはない.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼20日目:ビジャダンゴス・デル・パラモへのページから.
オルビゴ川とパッソオンロッソ橋(スペイン)
巡礼21日目,ビジャダンゴスから歩き始めしばらく行くとオルビゴ川(Rio Orbigo)とパッソオンロッソ橋(Puente del Paso honroso)に出合う.オルビゴ川もさることながら,10以上のアーチから成る長いパッソオンロッソ橋はこの上で騎士に武術トーナメントが催されることで有名という.たまたま通りかかった日はその祭りが開催される日で,特に橋向こうの街は大童の様子だった.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼21日目:アストルガへのページから.
メルエロ川(スペイン)
巡礼23日目,イラゴ峠を越えて,下り道を進むと先にメルエロ川(Rio Meruelo)が見えてくる.対岸のモリナセカ旧市街も美しい.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼23日目:モリナセカへのページから.
クア川(スペイン)
巡礼24日目,カカベロスの村を過ぎて進むと小さなクア川(Rio Cua)を越える.ここの橋の辺りは1809年スペイン独立戦争(半島戦争とも言われ,ナポレオン戦争中イベリア半島でスペイン軍,ポルトガル軍,イギリス軍の連合軍とフランス帝国軍との間に戦われた戦争)でカカベロスの戦いの場面となったところらしい.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼23日目:モリナセカへのページから.
サリア川(スペイン)
巡礼27日目,サリアの街に入り少し行くとサリア川(Rio Sarria)に行き当たり,橋を渡る.静かな流れで周囲は緑豊か,いいところだ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼27日目:サリアへのページから.
ミーニョ川(スペイン)
巡礼28日目,サンティアゴまであと100km地点を過ぎ,さらに少し行くとミーニョ川(Rio Mino)に行き当たる,ごく現代的軽量なコンクリート橋を渡り,対岸に着くとポルトマリンの街だ.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼28日目:ポルトマリンへのページから.
フロレス川(スペイン)
巡礼30日目,レボロイロ村の次はフロレス(Furelos)の村に入ったようだ.多連アーチの石橋のかかるフロレス川(Rio Furelos)の水面が静かで,橋の半円アーチの下で,アーチが影と合わせてきれいな円を描いていた.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼30日目:リバディソ・ダ・ バイショへのページから.
イソ川(スペイン)
巡礼30日目,イソ川(Rio Iso)に架かる中高のアーチ石橋を渡り,リバディソ・ダ・バイショ(Ribadiso da Baxo)の赤い屋根のアルベルゲに到着した.アルベルゲはイソ川袂で,敷地は接している.
以上フランス人のカミーノ紀行2019/巡礼30日目:リバディソ・ダ・ バイショへのページから.
ベタ川(チャド)
何しろサハラ砂漠の国なので水気は少ない.2日間で初めて川に出合った.ベタ川(Betha river)で,大きな川ではないが乾燥地帯を流れるので大変貴重な川に間違いなかろう.今はあまり降らないようだが稀に降るのでしょうか.いずれにしてもこの地方にはある程度まとまった降雨があり,それがミレット栽培などを可能にしているのでしょうね.
以上チャド探訪2019/アベシェのページから.
ラーメル渓谷(アルジェリア)
コンスタンティーヌ(Constantine)は人口は約55万人でアルジェリア第3番目の都市だそうだ.標高640mで,街の中央をラーメル渓谷(Rhummel)が走り,そのため峡谷を跨ぐ橋が多く掛かっているのが特徴だ.
以上アルジェリア紀行2018/コンスタンティーヌのページから.
エポニマス渓谷(eponymous gorge アルジェリア)
the eponymous gorgeの名の渓谷で,幅は最大部で40mほどとという.そしてここに架かっているのはナポレオン三世橋で,最初古代ローマ時代,紀元3世紀頃ローマ軍が建設し,写真は仏政府が1862年に修復した姿で,その落成式にナポレオンⅢ世が臨席したそうだ.
以上アルジェリア紀行2018/バトナのページから.
リバー(ベトナム)
ハノイ空港(ノイバイ国際空港)から都心へと南下するときに通過する大きな川がソンホン川,別名ホン川(Song Hong River/紅河)のようである.
以上ベトナム北辺の旅2018/ハノイのページから.
ダー川支流(ベトナム)
シンホーからダー川(Da)支流脇を進んだ.この辺りは既にダー川本流の反対側(山側)支流となったようである.相変わらず濃い土色の流れだ.
以上ベトナム北辺の旅2018/シンホーのページから.
黒ラチ族村の川(ベトナム)
私たちは黒ラチ族バンフゥン村を訪ねるため,一旦DT178街道を離れ,名前は不明ながら北に向かう谷沿いの山道に入っていった.この山道周辺もまた棚田が多く拓かれ,しかも規模が大きい.まあ良く切り拓いたものですね.
以上ベトナム北辺の旅2018/ビンクァンのページから.
ドッグリバー(レバノン)
ドッグリバー遺跡(Ruines of Nahr el-Kalb)に到着した.遺跡は道路横の岩壁に刻まれた碑で,見物場所は狭い.200段だったかの階段を上る.途中狼(或いは犬)の形をし,強い川風を受けると狼(犬)の吠える声に聞こえたという大岩があったという.今も在るはずだが.....岩が欠けたりして形が変わったのか見つけられなかった.つまり吠える声の源は川で,犬川,ドッグリバーの名の由来になったとか.丘の上に出ると地中海海岸線に流れ込むドッグリバー(写真下から1/3くらいの横の線)が見えた.今は,この丘から見ても,間近に見ても川幅は狭く,また水深も浅く,渡るのは大して困難には見えない.しかしアッシリアとかの古代には渡るのは大変な川で,戦略上極めて大事な要所だったのだそうだ.
以上レバノン紀行2018/ドッグリバーのページから.
ハルビンの松花江(中国)
暴れ川の松花江は,アムール川最大の支流で,朝鮮の白頭山に源を発し,吉林省を流れ,ここ黒竜江省ハルビンを通り,アムール川に注ぐということだ.冬の寒さはものすごく,松花江は1m厚の氷で覆われ,トラックが対岸の太陽島まで往来できるという.
以上中国東北紀行2018/ハルビンのページから.
長春の伊通河(中国)
自由大路を西に少し行くと『伊通河(いつうが)』に掛かる橋となる.この川の向こう側(西側)が旧市街ということになる.ちょうど朝の通勤時間帯なので向こうに行く人,こちらに来る人双方人通りがある.伊通河は伊通満族自治県の青頂嶺に源を発し,ここ長春市内を流れ,飲馬河に合流し,さらにハルビン市で眺めたあの松花江に注ぐということだ.
以上中国東北紀行2018/長春のページから.
瀋陽の渾河(こんが)(中国)
渾河は泥の河の意と云うことを前ページに記したが,こうして眺めると結構きれいで,泥河には見えないような.....ジョギングの人にサイクリングの人がいる.一般に中国では自転車に乗る人が少ないように見えるが,それなりにいるということかな.
以上中国東北紀行2018/本渓のページから.
増穂川の脇になる(愛媛県)
やがて遍路道は津島大橋辺りを越え,比較的大きな増穂川畔を通るようになった.
以上半四国遍路2018/遍路2日目のページから.
昿川に架かる橋とお城(愛媛県)
大洲神社から暫く行くと,昿川(ひじかわ)に至り,そこでは古い橋(昿川橋)の架替工事中だった.クレーンのあるところが新しく建設中の橋で,今歩きシャッターを押したのは仮設橋だそうだ.仮設と言っても立派な橋で相当の交通量がある.またちょっと小さいが写真左上に大洲城が見える.大洲城は鎌倉時代末期,伊予国守護宇都宮豊房の築いた城に始まるという.
以上半四国遍路2018/遍路4日目のページから.
遍路道は小田川に沿う(愛媛県)
第44番,第45番に向かうこの辺りの遍路道は国道379号線で,概ね小田川に沿っている.
以上半四国遍路2018/遍路6日目のページから.
今治市第55番南光坊手前の浅川(愛媛県)
遍路道は今治の住宅街,そして市街地へと入ってきた.そして浅川脇を通り.第55番南光坊山門に至った.
以上半四国遍路2018/遍路2日目のページから.
渦井川(うずいがわ)(愛媛県)
西条市街地を過ぎ,畑地帯になった.そして川に出合った.川マップを見ると渦井川(うずいがわ)であろうか.向こうの山を映す水面はとても静かで流れは緩やかなようだ.
以上半四国遍路2018/遍路14日目のページから.
財田川(香川県)
第69番観音寺参拝を終えると,財田川対岸遍路道に出るため,往きの橋の少し上流に架かる橋を渡った.冷たい大気だが風がなく,川面は波立たず滑らかだ.この辺り観音寺市では昭和中頃まで,当川で染物を行っており,染川と呼ばれていたこともあるそうだ.現在はアユの遡上もみられるそうだ.
以上半四国遍路2018/遍路17日目のページから.
詰田川(香川県)
第84番屋島寺から下り,小学校を通過すると池のところで,東に曲がった.そして暫く行き川を渡った.地図を見ると詰田川であろうか?この辺りは瀬戸内海に近い河口であるためか,結構川幅があり,水量も多いようだ.
以上半四国遍路2018/遍路21日目のページから.
吉野川を渡る(徳島県)
こちらは吉野川本流に架かる川島橋.橋は大野島橋,川島橋双方とも橋脚が短く,欄干のない潜水橋(沈下橋)で洪水の大きな水圧に押し流され難い構造になっている.でも橋の幅が狭く,欄干がないので車が通るときはちょっと怖い.
以上半四国遍路2017/遍路2日目のページから.
鮎喰川(徳島県)
やがて鮎喰川は川幅が増したが,水深が浅いのか流れの速度はまだ結構速い.歩いている左岸からは右岸の建物が見えている.そちら側にも遍路道が通っており,両岸結ぶ橋が所々に架けられている.
以上半四国遍路2017/遍路4日目のページから.
勝浦川(徳島県)
第18番恩山寺手前で国道55線大きな川,勝浦川と交わった.二級河川だそうだが,それにしては豊かな流れだ.
以上半四国遍路2017/遍路5日目のページから.
立江川(徳島県)
第19番 立江寺から戻り,民宿鮒の里に戻る.2階の部屋に入り眺めると立江川が直ぐ目の前だ.明日は早いが,この分では晴れてくれそうだ.
以上半四国遍路2017/遍路5日目のページから.
那賀川(徳島県)
第20番 鶴林寺は標高570mの頂きに位置するそうだが,概ねその近くになったのか,木立の間から大きな川を望むようになった.地図を見ると那賀川であろうか,雄大だ.徳島には多摩川クラス,いやそれ以上大きな川が何本も流れている印象だ.
以上半四国遍路2017/遍路6日目のページから.
宍喰川(徳島県)
温泉民宿はるる亭で朝食を頂戴する.そして今日の遍路道国道55号線を南下開始した.そして宍喰川に差し掛かり,これを横切る.宍喰とはまたイノシシとか鹿のジビエ料理を連想させ,直截的というか何というか面白い名前だ.
以上半四国遍路2017/遍路9日目のページから.
奈半利川(高知県)
奈半利の街外れに来ると,奈半利川が流れ,そこに架かる奈半利橋を渡った.2級河川だそうだが,河口に近いためか結構川幅がある.なお今歩いているのは県道12号線になるようだ.
以上半四国遍路2017/遍路11日目のページから.
安田川(高知県)
奈半利川の次,今度は安田川を越えた.川にはやはり歩いている県道12号線の橋と,下流側に国道55号線(土佐東街道)の橋が架けられている.
以上半四国遍路2017/遍路11日目のページから.